飯田竜太さんインタビュー

こどもアートクラブ 造形クラスも全8回の開催を経て、それぞれの展示内容とともにさまざまな創作の時間がうまれました。

毎回、それぞれの制作に向かう姿や、その完成された作品からは、驚きと新しい感性をわけてもらうような感触があります。そして、そこに一緒にいるという趣で寄り添っている講師 飯田さんの存在。

改めて、監修、講師であり、長年幼児教育に関わられてきた飯田竜太さんに、クラスの開催に対する思いや、子どもの造形に向き合う姿勢について話をうかがいたいと思いました。

表現につながる「スイッチ」

-こどもアートクラブの造形クラスはどんな場だと思いますか?

教室に行き、先生が考えたものをやってもらうっていうのが、普通の造形教室のあり方だと思うんですが、それに対して、レッジョ・エミリア教育のように、プロジェクト型の造形活動では、色々な素材がたくさん用意されていて、そのなかで好きに遊んだり造形する、というようなものも、またひとつの造形教室のあり方だと思うんです。この活動は子どもの自主的な創造性にまかせ、遊びのなかから教育的な要素を自分のなかで作り上げていくようなことをやっているのです。

レッジョ・エミリア教育には、活動に合った場所と習慣性が必要だと思っています。今回のアートクラブは各回完結型なので、その良い要素を取り入れるのであれば、活動の中身は自由度が高いものをやりたいというのが一番初めに考えたことでした。活動に参加する子どもも毎回変わる教室のなかで、子どもが委縮しないで活動できる居心地の良い空間をつくることも大切だと思っています。

さらに、こどもアートクラブの活動には、表現につながる導入となるような「スイッチ」があり、それが一番の特徴だと思っています。

話すように絵を描く

子どもが表現するとき、そこにまず強い印象や影響などがないと、自然な表現性が現れないと思っています。例えば絵画の時間に「自由に絵を描いてくださいね」と言われても、子どもは絵を描き進めないんです。活動に慣れていて、進める子もいますが。そんな活動の初めにはきっかけとなる声がけが必要です。例えば「昨日の運動会の絵を描いてみましょう」と投げかけがあったとしましょう。そうすると、子どもは自然に絵を描き始めます。それは、「運動会」という記憶が、どんな記憶でも良いのですが、子どもの心にエッセンスとして強い影響があったからなんです。それがあるだけで、自然に絵が進んでいくんだと思います。それは「子どもが絵を描くという行為」を、普段の生活から切り離して考えているのではなくて、子どもが昨日の運動会のイメージを思い出しながら、話すことと同じような感覚で手が動いているのだと思ったのです。そういう活動の自然な流れが、子ども本来の表現のあり方だと思います。自分の中に何もイメージを持てない「今」は表現できない。今の自分が何を思って、何を体験したのかという、心に強く入ったもの、強く残っているものがない限り、僕は表現が自然な形で出てこないと思っています。

そういう自然な表現は、自分の部屋に行ったら、このぬいぐるみで遊ぶというようなことと同じで、子どもそれぞれの習慣や環境において、色々な「自己発生的スイッチ」が、環境やものにセットされていて、それを何気なくポンっと押した時に表現がうまれるのだと思っています。たぶんそれが、大人も子どもも関係なく、表現を行う一番良いスタート方法だと思います。

「こどもアートクラブ」のスイッチ

こどもアートクラブは、そのスイッチが、展示されている作家の作品=鑑賞体験にあります。それは普通の造形教室ではあまりないことで、日常的な状況ではないところが一番の特色だと思います。これは美術館や博物館などで実際に開催しているアウトリーチ的活動で、子どもが実際のアート作品を前にし、「うわ!やばい、この作品!」と、強い印象としてスイッチが急に入るんです。このスイッチが入るポイントが「本物の作品」であるということがとても重要で、アートクラブの根幹になるのだと思います。本物のアート作品に出会い、触れ、体験し、そこから始まる表現を大切にしたいと思っています。

「今」を大事にすること

-子どもたちはどんなふうに自分の作品をとらえるのでしょうか。

実際に制作活動が進むと、成果物が出来上がっていきます。子どもによって差はありますが、子どもはできた作品にあまり執着がないと思っています。むしろ作っている時間が最も大事なのではないでしょうか。そしてその制作体験や、制作物がまたスイッチになる。制作した時の気持ちを思い出すと同時に、その内容についても話が始まる。年齢による発達段階にもよりますが、「今」という状況が重要だと思います。

-その制作中の「今」を大事にするためにどのようなことを意識されていますか。

制作しているその時に、ルールや方法を示すっていうのは表現を止めると思います。なるべく、道筋を示さない、うまくいく方法を言わないほうが良いと思い、子どもと接しています。なんとなくは活動の目的があるので仕向けます。しかし自然な流れで子どもから「こうやりたい」などの意見が出てくるだろうという予想をしておき、予想外のことにも「あ、あるよ!できるよ!」と、スっと手を出すような。ハンドリングする自分の技量が問われるところですが、自然で様々な方向へ発展していくことに対応できたら良いなと思います。

「自由」ということ

-子どもたちに対しての「自由」って一辺倒ではないところもありますね。

「自由慣れ」ということがあると思います。子どものなかでも。常になんでもやっていいっていう場を活かせるのは、子どもの各自の能力次第だったりもする。その能力を引き出すこともできると思います。例えば紙を常に置いておき、いつでも使っていいというコーナーを一箇所用意すると、やりたい子は勝手にやる。それは場所が変わっても同じように活動できると思います。そういう意味での「自由慣れ」もあります。

実際、大人も同じような事が起こるような気がします。何かに慣れてる人はすぐ進められる。例えば音楽なんかでも、慣れている人は楽器があればさらりと進められますが、全然違う分野から来た人にとっては、やり慣れてないので、何をして良いのかすらわからない。

表現の方法がひとつではないことも大切だと思います。自分に合っている表現活動を子どものときに自覚的に選べていたら、大人になった時にも抵抗なくできる能力として備わっていく。身近にスケートボード場があるからスケボー選手になるとか、お父さんが能の先生だったから能をやってみましたなどの事例は、まさにそのような事だと。

子どもの習慣性のなかに表現の一部が入りこむと、言葉を自由に話すことと同じように、表現し始める事ができるのだと思います。

習慣性をうまく利用して表現を自然発生させようとしても、人間には気質というものがあり、向き不向きが現れてくる。肉体的、遺伝的側面があるとも考えています。子どもはもともと全てのあらゆることにおいて万能という考えがありますが、私はそうは思っていなくて、それぞれの子にも特徴があるように、苦手なこと、不得意なことはあると思います。それは親が自分の子どもをよく観察し判断することだと思いますし、過度な期待で苦しめる事がないようにしたい。アートクラブのあり方としては、なるべく何かを決めて進めていくのではなく、多くの事、モノに触れ、自由に表現できる状況を作り、完成を求めないように各回ごとの活動を作れたらと思っています。

Profile
飯田竜太

「こどもアートクラブ 工作クラス」講師
1981年生まれ。2004年日本大学芸術学部美術学科彫刻コース卒業、2014年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術専攻修了。アーティストデュオNerhol(ネルホル)としても活動し、その作品は国内外で高い評価を得ている。現在、日本大学芸術学部准教授。
2001年から2007年まで東京都内の保育園で造形教室を担当。2007年から2009年、静岡県の県立高校にて美術の専任講師。2010年から2016年までは八戸学院大学短期大学部幼児保育学科にて保育者の指導にあたり、2017年からは日本大学芸術学部美術学科で教鞭をとる。自身の作品制作を精力的に行う傍ら、絶えず子どもへの表現・芸術教育に携わってきた。